SENDAI光のページェントの歴史を知ろう

SENDAI光のページェントの歴史を知ろう
~2020 年までの35年間の歩み~

目次
1.SENDAI光のページェントが誕生するまで
2.震災を乗り越える“光のページェント”
3.光のページェントのイベント
4.点灯の歴史

1.光のページェント誕生まで
いつから始まった?
 1986年、市民ボランティアが集まりSENDAI光のページェント実行委員会を立ち上げて、第1回SENDAI光のページェントが定禅寺通と青葉通で行われました。
企画の経緯は?
美しいものを見て素直に美しいと感動する子どもたちの笑顔を見たい。葉が散ったケヤキの木がさみしい。たくさんの小さな豆電球で仙台の街を照らしたい。そんな願いを込めて“SENDAI光のページェント”は実施されたそうです。

ページェントの名前の由来は?
実は、ページェントという言葉をイルミネーションと結び付けたのは、この光のページェントが原点。企画の段階での題名は、ケヤキ~・イルミ~が挙げられていたが、光のページェント(直訳すると光の野外劇)がしっくりきたそうです。

SENDAI光のページェントの’87 ’88 実行委員長 上野隆士さんにインタビュー
Q1:なぜイルミネーションを選んだのですか?
私は子供の頃から定禅寺通に住んでいて、ケヤキ並木の葉が散るとさみしく感じたので、小さな電球をともせばきれいになると思いました。
Q2:知名度を広げるために何をしましたか?
実行できるかできないかという状況だったため、正直計画することで手一杯でした。そもそも、有名になりたい・有名にしようという考えは一切なく、ただただ、子どもたちに見て楽しんでほしいと思っていました。
また、光のページェントを実行するにあたって、仙台市や警察署から許可をもらわなければならず、自分たちがどんな物を作り上げたいか説明するために、イラストを描いたり、設置場所や設置方法の提案など、何度も試行錯誤を繰り返しました。
Q3:開催当時、一番大変だったことは何ですか?
一番は資金集めです。
当初は、ケヤキ1本にかかる費用が30万円ほどであるため、多くの資金が必要でした。資金調達のため、募金に力を入れたり、知名度向上のため、メディアへの情報開示などを取り組みました。
また、専門家に委託せざるを得ない業務以外は、実行委員会の各委員がボランティアの立場で運営に当たりました。
活動としては、交通渋滞の整備やイベントの企画運営を行いました。

2.震災を乗り越える“SENDAI光のページェント”
東日本大震災による被害
 東日本大震災が起こった2011年、東北地方は沿岸部を中心に甚大な被害を受けました。宮城野区蒲生の倉庫に保管してあったSENDAI光のページェントのLEDは全て使えない状況となりました。
※写真は津波により使えなくなった電球

光のページェント開催に向けた困難と強い思い
 さらに、SENDAI光のページェントは市民の募金、企業の協賛金から成り立っているイベントであるため、イベントを行うか悩むこととなります。しかし、2011年度実行委員会は『仙台』という街が震災を乗り越え、元気を取り戻し、被災地に向けて少しでも笑顔を届けることができたらという想いから開催に向けて動き出しました。

絆を灯すページェント
その結果、2011年度のイルミネーションは一部を全国より支援していただいたLED電球を使用し、“絆の証”として開催以来初めてとなる定禅寺通のケヤキ並木に二色のイルミネーションが点灯され、多くの協力により開催する事ができたのです。また、『サンタの森の物語』では被災地からの参加者も見られ、笑顔いっぱいの賑わいを見せました。

※写真は二色に灯されたイルミネーション
※写真は支援していただいた旨を伝える看板と電球

3.SENDAI光のページェントのイベント
ⅰ スターライトファンタジー・サンタの森の物語(1991~)
きらびやかなイルミネーションの下、音楽隊を先頭として、サンタクロースとなった市民が笑顔で手を振りパフォーマンスをします。
きっかけは市民参加型イベント!?
1991年から今でも続く歴史の長いパレードですが、はじまりは定禅寺通を歩行者天国にして、何かイベントをしようというアイディアでした。
というのも、今では仙台四大祭りのひとつとして名が挙がる“SENDAI光のページェント“ですが、当初の認知度は他の仙台のイベントに比べるとまだまだ低く、より多くの人に知ってもらいたいという想いがありました。そこで、当時人気のあった市民参加型イベントに目を向けたところ、ほとんどのイベントが車両通行止めにした道路を活用して行われていたのです。”SENDAI光のページェント“においてもその形態を参考に、普段は道路の定禅寺通をステージとして、イベントを行うことになりました。

当時の実行委員長の想い
開催時に実行委員長をされていた瀬戸克而さんは、市民の皆さんがイルミネーションを見るだけでなく参加することでも楽しんでもらいたい、そし
て友人や家族が行進する姿を見ることでも楽しんでもらいたいという想いで開催したそうです。

今と衣装が違った!?
参加者の着るサンタクロースの衣装は、当時の実行委員会が調達しました。そのため、下の写真のように全員ベルトをしていたり、男性は白眉と口ひげを生やしていたりと、同じ格好をしたサンタクロース集団を見ることができました。
近年の衣装は個人でご用意いただいており、個性ある様々なサンタクロースをご覧いただけます。また、当時はサンタクロースの仮装を競うサンタ・コンテストも行われており、個性的な衣装で盛り上がりました。

ⅱ スターライト・ウインク(1993~)
全ての灯りを消して・・・・ 再点灯。
再点灯は市民の方々から歓声や拍手が人気のイベントです。
きっかけはあの言葉
そんな“スターライト・ウインク“が誕生したきっかけは、青森県にお住まいの方のお言葉でした。
当時、実行委員会が街頭で募金をしていた際、青森県からお越しの方に「楽しみにしていた点灯の瞬間を見逃した」と残念そうに声をかけられたのです。今ではとても人気イベントですが、当時は“まさかそんな遠方から点灯の瞬間を見に来てくださる方がいるなんて”と衝撃をうけたそうです。この出来事をきっかけに、1993年から点灯アナウンスを取り入れた再点灯イベント(通称スターライト・ウインク)が実施されるようになりました。当初は1 日1回のみの実施でしたが、これまた実行委員会の予想以上に好評を博し、1997年からは1日2回、2000年以降は1日3回行われるようになったのです。

一瞬で全ての灯りがともる秘密
そうして定着していった“スターライト・ウインク”ですが、その醍醐味ともいえる、一度に全体の灯りがつく光景は実は当たり前ではありません。
SENDAI光のページェントがはじまった頃は、5、6箇所の点灯スイッチがあり、点灯までのカウントダウンをしたにも関わらず、点灯がバラバラとなってしまうことがありました。そこで地下にSENDAI光のページェント専用の管を通して一気に電気を供給できるようにした結果、見事一斉に点灯するようになりました。このような工事があったからこそ、一斉に点灯する壮観な光景を見ることができるのです。

ⅲ ウィンター・エンジェルス(2013~)
先に紹介した2つのイベントに比べると、ご存じでない方も多いかもしれません。光のページェントに元気と癒やしを与えてくれる愛らしい天使たちです。
コスチュームとともに生まれ変わりました!
前身のサンタコスチュームを着たドリームガイドにかわって2013年に結成され、天使のコスチュームが特徴の親善大使として、さらに活躍の幅を広げまし た。天使のコスチュームは、宮城文化服装専門学校の生徒さんにデザイン・制作いただいたオリジナル衣装で、子供たちの魅力を最大限に引き出してくれます。

ウィンター・エンジェルスたちの反応は?
ウィンター・エンジェルスは青少年の健全な育成を目的として結成され、これまで、のべ72名の天使たちが光のページェントを盛り上げてくれました。
ウィンター・エンジェルスの活動は観衆の前でのPRや募金活動、サンタの森の物語内でのプロローグ朗読やハンドベル披露など多岐にわたります。ウィンター・エンジェルスに選ばれた子供たちは、普段できない貴重な体験を通して、一生の思い出を作るともに、仲間と責任をもって取り組むことによる達成感や、感謝することの重要性と感謝されることの喜び、そしてSENDAI光のページェントがいかに多くの人に支えられているのかといった、多くのことを学ぶことができたようです。
とにかく多くの人に知ってほしい!見てほしい!楽しんでほしい!
子供たちの育成はもちろんのこと、より多くの人にSENDAI光のページェントへ興味をもっていただくこともウィンター・エンジェルスの目的のひとつです。ご存じの方はまだまだ少ないと思いますが、SENDAI光のページェントは市民ボランティアが主体となって運営されており、地域の方々をはじめ皆様のご協力があるからこそ成り立っているイベントです。子供たちが一生懸命にSENDAI光のページェントを盛り上げ、多くの人に喜んでもらおうと活動する素直で献身的な姿勢は、とてもかわいらしく多くの皆様に好評です。

4.点灯の歴史
SENDAI光のページェントの点灯
 SENDAI光のページェントは1986年から始まり、2020年で35回目を迎えるイベントです。その歴史の中で、電球数や点灯場所が変化してきました。
1986年(第1回)と1988年の点灯個所
 開催 1 年目の光のページェントでは、定禅寺通と青葉通の二つの通りが点灯しました。定禅寺通では緑道にある2列のケヤキが点灯されました。
※上の地図は1986年の点灯個所で下の地図は1988年の点灯個所SENDAI光のページェントが始まって数年たつと、定禅寺通の点灯場所が現在と同じ市民会館前までになりました。

1995年の点灯個所
 1988年と比べ点灯場所は変わりませんが、点灯するケヤキの本数や電球数がどんどん増えてきました。
これは、点灯が緑道側の2列のケヤキだけではなく、通りにある4列のケヤキが点灯されるようになったからです。

1999年の点灯個所
 この年から青葉通の点灯場所が「仙台駅から晩翠通前まで」になりました。
ここから、2002年には「仙台駅から国分町通まで」、2007年には「仙台駅から東二番丁通まで」となりました。

2010年の点灯個所
 2010年からは点灯場所が定禅寺通のみになりました。
2010年以降は大きな変化はなく、現在のSENDAI光のページェントになります。たくさんのLED電球が「東二番丁通から仙台市民会館
前まで」のケヤキ160本を照らしています。

PAGE TOP